法性寺について

歴史と伽藍

歴史

P9171712.JPG法性寺は、奈良時代、行基の開創と伝えられ、一刀三礼して本尊聖観世音菩薩を刻したと伝えられています。

また、弘法大師が一晩で大般若経六百巻を書上げたと伝えられることから、当地が「般若」と言われるようになりました。

しかし、文献で明らかにされるのは、鎌倉時代貞永元(1232)年眼応玄察和尚が曽祖開山であり、大日如来がまつられていることなどから、古くは密教系寺院であったと推察されます。

その後江戸時代に、曹洞開山・智外宗察大和尚がほぼ現在の形に伽藍を整えました。

宗派  曹洞宗 
本尊  聖観世音菩薩 薬師如来 大日如来
御詠歌 願わくは 般若の舟に のりをえん いかなる罪も浮かぶとぞきく



縁起

P5090368.jpg昔、豊島郡の住人、豊島権守が娘を同郡に嫁がせた。
ある時娘が里帰りをしようと舟に乗ったところ、犀ヶ渕で悪魚にみそめられ、水底に引き込まれそうになった。
その時、一人の美女がその娘を助けて、舟に戻してくれた。
従者たちは夢のように喜び、「どなたですか」と尋ねると、
「私は岩船山のものです。父をはじめ、主従がよく観音様を信じているので危難のところを助けました」
と答えて消え去った。
この不思議な光景を権守に伝えたところ、歓喜の涙を流して利益を尊び、その恩謝として諸所を巡礼した。
そして当山を参拝し、帳をあげて拝むと、なんと笠を冠った観音様がおられた。
涙を流し、三日三晩般若心経を写して供養をした。

「或漂流巨海 龍魚諸鬼難 念彼観音力 波浪不能没」(*1)
の経文は誠にありがたい。
今でも天冠の上に、笠をかぶり舟に棹さす御前立観音が祀られています。

*1『妙法蓮華経 観世音菩薩普門品偈』の一節




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